4度の転院を経験、主治医と上手く付き合うコツとは?15年続く治療の日々が教えてくれたこと
2025年9月30日
二度の自家移植、度重なる再発。そして転院歴は4回……。諦めず治療と向き合い続けた日々や医師との信頼関係の築き方など、治療歴15年目の丸田ななえさんにうかがいました。
お話を伺った方:丸田ななえさん(仮名)・66歳(罹患時51歳)・多発性骨髄腫
深い寛解を目指して二度の自家移植を決断
2011年3月、会社の健康診断で貧血がわかり、自覚症状がないまま精密検査をしたら多発性骨髄腫と診断されました。急いで治療する必要はないと言われましたが、がんと確定しているなら早く治療して仕事復帰したいと思い、すぐに治療を受けたいと自分の意思を伝えて自家移植に向けた抗がん剤治療を始めました。吐き気、下痢、脱毛、味覚障害……。自家移植の副作用は寝ていることも起きていることもできないほどつらく、できることならこの体を捨ててほしいと思ったほどです。
今は移植したら維持療法を行うのが一般的ですが、当時は移植後の治療方針が決まっていませんでした。不安に思いセカンドオピニオンを聞きに行くと、自家移植をもう一度やれば深い寛解を維持できて再発までの時間を伸ばせると言われました。もう一度あの副作用を味わうくらいなら、死んでしまっていいから移植はしたくない。夫にそう伝えたら「死ぬな…」と言われ、その言葉に背中を押されて二度目の自家移植を決断しました。
CAR-T細胞療法に救われ、無治療の今は好きなことを満喫
二度目の自家移植をした後は地固め療法を行い、約5年半は無治療で過ごしました。その後、残念ながら再発を二回経験し、治験にも参加しながら治療を続けて完全寛解。しかし圧迫骨折を機に三度目の再発となりました。このときは主治医の表情に今までにない焦りが滲み、初めて夫を呼ぶように言われて事態の深刻さを感じたのを覚えています。
次の治療にCAR-T細胞療法※を提案され、主治医は資料を見せながら丁寧に説明してくれました。高熱や神経障害のリスクがあると言われましたが、今の状況ではCAR-T細胞療法が最も効果的と勧められ、私は骨折の激痛もありこの治療に希望を持ち受けました。
高熱による一時的な錯乱状態、吐き気、倦怠感、足がムズムズする症状など様々な副作用を経験しました。退院しても激しい倦怠感、じっとしていられずウロウロと歩き回るなどして、一カ月間は夫にごはんを作ってもらい、一日20分の散歩が精一杯でした。その後は体がこわばり、床に座ると立ち上がれないくらい筋力が落ち、ヨガ教室に通い始めQOLの回復を目指しています。
CAR-T細胞療法は、再発まで無治療で過ごせるのが魅力です。体もお金の面でも楽ですし、次の治療に備えて体を休める期間は必要だと感じています。CAR-T細胞療法が終わった後は一番元気になるから好きなことをするチャンスと主治医に言われたので、無治療で過ごせている今は人に会ったり、旅行に行ったり無理のない範囲でやりたいことにどんどんトライしようと思っています。
※患者のT細胞を遺伝子操作してがん細胞を攻撃できるようにする免疫療法。リンパ球の採取、ブリッジング治療、CAR-T細胞の投与という3ステップを踏む。

治療は受け身ではなく自分で選ぶ
夫の転勤などで病院を4回変え、今は新幹線で2時間かけて通院しています。転院すれば主治医も変わり、そのつど信頼できる医師に恵まれましたが、医師によって治療の見解に違いがあると知りました。だからこそ自分の生活スタイルや大事にしていることなど、カルテに載らない情報を自分から医師に伝え、私のことを理解してもらう姿勢が大切だと感じています。私の場合、遠方に暮らす父の介護や病気を抱える娘のケアをしていることを主治医に伝え、家族のケアと治療を両立するうえでの生活面の注意点をアドバイスしてもらいました。
また選択肢がある場合は、自分に合う治療法を選び取る力が必要だと感じています。がんになる前は、医師が治療方針を決めてくれるものと思っていましたが、実際は今後の生活を見据えてこうしたいという意見を持ち、医師と二人三脚で治療に取り組む必要があると実感。そのためには勉強して知識を身に付け、自分で選んだからにはその治療に前向きに臨むことが大切だと学びました。
副作用はつらいけど、病を得て気付けたこともある

振り返ると告知のときは一滴も涙が流れず、死を意識することもなく淡々と事実を受け止めました。当時はシングルマザーだったので、子供のためにも私が先に逝くわけにはいかないし……。それに診断されたのがちょうど東日本大震災の直後で、多くの人が厳しい環境にいるときに私は病院で十分な治療を受けられてありがたいと感謝の気持ちがわき、だから落ち込まなかったのだと思います。
治療の副作用はつらかったけど、がんに罹患して初めて仕事中心の生活から、平日昼間のゆったり流れる時間を感じられる生活になり、人に優しく、何気ない毎日に感謝して過ごす大切さに気づき、自分の中の世界が広がったのはよかったです。元気になれば活動的な生活ができるし、再発してもまた治療して病気と上手く付き合っていけばいい。人生の折り返し地点と言える50代を機に休みを取り、生活をリセットするために病気になったのかなと前向きに捉えています。
万が一に備え、でも希望は捨てない
私が経験したCAR-T細胞療法をはじめ、多発性骨髄腫は治療の選択肢が広がっています。故に多発性骨髄腫の治療は過渡期とも言えますし、患者さんは選択に迷うことがあると思います。だからこそ患者は勉強が必要だし、常に知識をアップデートしている医師の存在も大事だと思います。
私は51歳で罹患し、いい医師と治療法に巡り合い15年が経ちます。今はCAR-T細胞療法の効果が続いて体調は安定していますが、以前と比べて体力は落ちているし、いつまた具合が悪くなるかわかりません。そうなると何もできなくなるので、今のうちに身辺整理をしようと思っています。子供たちが困らないように遺言書やお墓のことを夫と話し合い、ポジティブに病気と向き合いながら急な変化に備えるつもりです。
取材/文 北林あい