度重なる転移と新薬が運んだ希望。
今日の精一杯が明日を生きる力になると信じて

多発性骨髄腫

2025年10月28日

治療薬を何度も変え、失望と希望の狭間を行き来してきた二宮まさみさん。「最終目標は仕事復帰」。
日常に戻るその日を目指し、一歩ずつ進み続ける日々を振り返ってもらいました。

お話を伺った方:二宮まさみさん(仮名)・50歳(罹患時47歳)、多発性骨髄腫

抗がん剤が効かず、薬を変えても大きくなるしこり

診察室で多発性骨髄腫と告げられたときは呆然としましたが、勤務先や家族に連絡しなくてはいけないですし、今やるべきことに頭を切り替えたら割とすぐ冷静になれました。

治療を始めたものの多発性骨髄腫の抗がん剤がことごとく効かず、胸や鎖骨に骨髄腫のしこりが見つかり骨転移による病的骨折も経験しました。次の薬は効くはずだと信じて臨んでもしこりはどんどん大きくなり、それでも不安はなかったです。体も痛かったしその日を生き切るのに精一杯で、先のことを心配する余裕がなかったからだと思います。

いつも厳しい状況でしたが、頑張ろうと意気込むこともなかったです。医師に次の治療法を提案されたら、それで治ればいいなぐらいの気持ちで治療を続けてきました。勤めていたスーパーのパートの仕事に復帰するのが最終目標だったので、それだけは忘れずにいようと思いました。

これで社会復帰が叶う……。CAR-T細胞療法で見えた一筋の光

治療の選択肢は減っていくなか、次にすすめられたのはおもに急性リンパ性白血病で使われるC-VAD療法※1でした。この治療が効かなかったら覚悟してください。医師にそう言われましたが幸いしこりは小さくなり、自家造血幹細胞移植へ。そして移植後の治療の話になったとき、二度目の移植を提案されたんです。私は外来で維持療法を行えると思っていたので、孤独と闘いながらまた無菌室で過ごすことを思うと前向きになれなくて。別の選択肢を確認しましたが、効果がわからない治療をするより副作用が少なく効果があった自家移植をもう一度、というのが医師の出した答えでした。

またCAR-T細胞療法※2について説明があり、特定の病院で行われる治療法だからその病院でセカンドオピニオンを受けてほしいと言われました。この治療法については患者さんのブログで読んだことがあり、その方は寛解して社会復帰していたので私もこれで仕事に戻れる。自分にもCAR-T細胞療法の機会が与えられたとほっとしたのを覚えています。

しかし二度目の移植後、CAR-T細胞療法を待つ間に頭部や歯茎にがんが転移。背中の痛みもひどくなり脊髄にも転移していて手術に。当初、医師に痛みを訴えても血液検査の結果は悪くないという理由で対処してもらえず、ひどくなる痛みに耐えるしかなく誰かこの痛みから救ってほしい、ただそれだけを願っていました。CAR-T細胞療法ができなくなるかもしれない。できたとしても体調が悪いまま治療をしたら再発するのでは、という不安もありました。

転移部分の手術後、ようやくCAR-T細胞療法を終えましたが、脊髄を手術した影響で歩けなくなり病院では車椅子で過ごしていました。退院後も理学療法士のもとでリハビリに励み、その甲斐あって車椅子が歩行器になり、杖歩行ができるまで回復。そこからは一日一万歩を目標に散歩に出かけるようになりました。

紆余曲折があっても後ろ向きにならず、そうかといって前向きというわけでもなく。目の前のことに取り組み、その日、その日を精一杯生きようという感じです。それはずっと変わらないし、いつか仕事復帰に結びつくと思っています。

※1:シクロホスファミド、ビンクリスチン、ドキソルビシン、デキサメタゾンという薬剤を組み合わせた治療法。

※2:患者のT細胞を遺伝子操作してがん細胞を攻撃できるようにする免疫療法。リンパ球の採取、ブリッジング治療、CAR-T細胞の投与という3ステップを踏む。

ブログで本音を綴り、それが誰かの励みになれば

病気の情報はインターネットで探し、同病患者さんが書くブログでも勉強させてもらいました。自分でも治療記録を残そうと思いブログを書き始め、今も続けています。文字にすると自分でもわからなかった本当の気持ちに気づくものですね。そのうちブログを見て励まされた、勉強になったという声をいただくようになり感謝していますし、誰かの役に立っているなら嬉しいです。

感謝といえば、日常生活をサポートしてくれる母にもありがたみを感じています。入院中、看護師さんにすすめられて「退院後にやりたいことリスト」を作り、おいしいものを食べに行ったり、母が行きたい所に一緒に出かけたりしました。本当なら私が母の面倒を見ないといけないのに、病気になったことで立場が逆になってしまったので少しでも母が喜ぶことをしてあげたくて。それにやりたいことが叶うと次の一歩につながる気がするし、仕事以外にも活力になる何かを見つけたい。そんな思いでリストを作っていました。

効果は3割、少ない可能性に賭けた次の一手

残念ながらCAR-T細胞療法後、1年も経たないうちに右腕がどんどん腫れて、検査をしたら全身への転移を確認。黒い点が全身に広がったPET-CT検査の画像を見たときは呆然としました。まさかこんなことになっていたとは……。二重特異性抗体薬※3のエルレフィオという治療法をすすめられ、この薬が効く可能性は3割程度。効果があったとしても投薬をやめることはできないと。「ほかの選択肢は?」と聞くと「ありません」と言われました。もし効果が期待できなければ、次は緩和ケアに移行するしかないと。それなら可能性が3割でも賭けてみるしかないという感じでした。

危機的な状況は今に始まったことではなく、Kd療法※4が効かなかった時点で多発性骨髄腫に使える薬は全部使い切ったし、常に背水の陣という感じです。まだ選択肢があるだけ救いですし、CAR-T細胞療法とエルレフィオがなかったら今の私はいないと思っています。

※3:二つの異なる標的に同時に結合するよう設計された抗体薬。

※4:カルフィゾミブ、デキサメタゾンという薬剤を組み合わせた治療法。

心配しすぎず、後悔せず。支えられて今を生きる

治療を始めてもうすぐ4年目になりますが、私は医療関係者の方々に支えられていると感じています。ブログを読むと私が頑張っているように見えるかもしれませんが、実際は医療関係者の方々が力を尽くしてくれるおかげで、私は生きていられると強く思います。

痛みの治療では緩和ケアチームにお世話になり、医療ソーシャルワーカーや理学療法士、作業療法士、管理栄養士など10数名のチームに多方面から支えてもらいました。ケアワーカーは私のちょっとした表情から孤独や不安を読み取ってくれて、話を聴いてもらうと精神的に随分と救われました。

現在、全身にあった黒い点はなくなり、エルレフィオが目に見えて効いているので、近いうちに仕事に復帰できたらと思っています。同病の患者さんには、新しい薬がたくさん開発されているので先のことを心配しすぎないでと伝えたいです。それと病気になると死に対する意識が強くなるけど、私は目の前のことを受け入れて毎日を精一杯、少しでも後悔がないように過ごしています。それが明日を生きる力につながると信じています。

取材/文 北林あい