直腸がんと胃がんを克服したのにまた!?
やるせないけど進むしかなく、CAR-T細胞療法が一筋の光に

びまん性大細胞型B細胞リンパ腫 リンパ腫

2026年1月16日

がんになると何がいけなかったのか、何で自分なのかと答えの出ない問いが浮かんできます。吉住陽子さんは2024年にびまん性大細胞型B細胞リンパ腫が判明し、がんになるのはこれで三度目。私ばかりなぜという不条理を感じつつも治療に臨んだ闘病の日々をインタビューしました。

お話を伺った方:吉住陽子さん・58歳(罹患時57歳)、びまん性大細胞型B細胞リンパ腫

きっかけは乳房のしこり。結果はまさかのリンパ腫

びまん性大細胞型B細胞リンパ腫(DLBCL)になる10年前に直腸がん、その2年後に胃がんが判明しました。直腸がんもショックでしたが、胃がんは早期発見だったとはいえなんでまた私なんだろうと不公平感を拭えませんでした。そして今回で三度目のがん告知。職場を見渡すとみんな同じように働いているのにほかの人は元気で、なんで私ばっかりこんな目に遭うのだろうとやるせなくて。でも治すには化学療法しかないと言われたら前に進むしかなかったです。

最初に病院を受診したのは、入浴中に気づいた乳房のしこりがきっかけでした。てっきり乳がんだと思い乳腺クリニックで超音波検査と細胞診を行い、結果が出るのは1カ月後。途中で病院から連絡があり乳がんかリンパ腫の可能性を指摘され、その後DLBCLか高悪性度B細胞リンパ腫と言われました。乳がんと思い込んでいたので動揺を隠せず、しこりはみるみるうちに大きくなるし、そのスピードの速さに怖さを感じていました。

しこりは横に膨らむように7.5cm程度まで肥大し、激しい痛みを伴っていたので早く治療してほしいという一心でした。がんセンターで血液検査と骨髄採取をしましたが、痛みに耐えられず確定診断が出る前に化学療法をスタートしました。

手術で治せた固形がんとは違う不安を経験

悪性リンパ腫と聞いたときは、手術で治せない病気になってしまったと思いました。直腸がんと胃がんのときは化学療法の必要がなく、手術で腫瘍を摘出すればよかったけど、今度は血液のがんだからすでに全身に広がっているかもしれません。しこりが大きくなるスピードがあまりに早かったので、知らないうちに体のなかで大変なことが起こっているのではという不安が止まりませんでした。

加えて職場でリンパ腫になった同僚がいて、急激に元気を失っていく姿を記憶していたのですごく怖かったです。その恐怖感と治療が始まればなんとかなるという期待がせめぎ合っていました。

しこりと痛みは消えたのに……。寛解できない苛立ちと不安

化学療法が始まると乳房のしこりがあっという間に小さくなり、これで治るかもしれないという期待感が高まりました。2クール目が終わる頃にはしこりが指に触れなくなり、だるさや眠気、味覚障害といった副作用はあったけど、寛解への期待が確信に変わっていきました。ただ脱毛して髪の毛だけでなくまつ毛や眉毛までなくなったことに驚き、鏡を見るたびに気分が落ち込んだものです。
 
化学療法をすべて終えると、痛みはすっかりなくなり体力も回復。しかしPET-CT検査の結果を聞きに行くと、「1cm程度の腫瘍が残っている」と言われたんです。抗がん剤がよく効くがんだと聞いていたし、実際こんなに元気なのになぜと思いました。リンパ腫に倒れた同僚のことが再び頭をよぎり、病院と縁が切れない生活が続き、だましだまし生きるんだと思ったらすごく悲しかったです。

希望を託しCAR-T細胞療法を決断、遠方の病院へ

意気消沈する私に主治医がすすめてくれたのがCAR-T細胞療法※でした。「当院では受けられないけど、治療が可能な病院に打診しています。どうしますか」と聞かれ、私が「この治療を受けたらどうなりますか」と質問すると、「完全に治る可能性が高くなります」と言われ、夫の強いすすめもあり遠方の病院でCAR-T細胞療法を受ける決断をしました。治療の説明の最後に高額な治療費を言い渡されたときは、その金額に見合う価値があなたにありますかと問われている気がしてちょっと躊躇しましたが、「やりたいです」と自分の意思を伝えたのを覚えています。

ほどなくしてCAR-T細胞療法を行う病院を受診し入院へ。CAR-T細胞を投与した日の夜から高熱が出てしまい、歩くとふらついたり、膝がカクンとなって転びそうになったりしました。5日目頃から免疫細胞関連神経毒性症候群(ICANS)を発症し、思うように字が書けなくなり箸も持ちづらくなりました。今も手の操作性が悪く、フライパンを片手で持つと痛みが走るので両手を使うなど注意しながら生活しています。
※患者のT細胞を遺伝子操作してがん細胞を攻撃できるようにする免疫療法。リンパ球の採取、ブリッジング治療、CAR-T細胞の投与という3ステップを踏む。

一人を噛みしめ、当事者になってわかった患者の気持ち

地元から離れた病院でCAR-T細胞療法を受けたので家族と頻繁に面会できず、病室は相部屋でしたがベッドの間に間仕切りがあり、患者同士のおしゃべりもままならなくて。入院中は一人で病気と闘っている気持ちになり、職場の同僚に電話をしても声だけ聞いて元気そうと言われると複雑な気持ちになりました。逆の立場だったら私はどんな言葉をかけただろう、私は何と言われたら嬉しかったんだろうと考えさせられたものです。

ずっと病気のことを考えているとつらくなるので、朝から晩までテレビで高校野球を見て、まったく違うところに意識を向けるようにしました。目の前の現実から逃げていたのかもしれないけど、そうやって心のバランスを保っていたのだと思います。治療の甲斐あって寛解が叶ったときは、やっと一段落したという安堵感に包まれました。

現在も体調は安定していますが4週間に一度、通院を続けています。再発の不安はあるけど暗い未来ばかり想像したくないので、再発治療の情報収集はしていません。仕事は復帰できましたがずっと働き詰めであまり遊んでいなかったので、これからは自分の時間もちゃんと大事にしたいです。

取材/文 北林あい