気持ちを切り替え、人に頼り、使える制度は最大限に利用して。
がんになり三度の再発を生き抜く

びまん性大細胞型B細胞リンパ腫 リンパ腫

2026年1月20日

再発治療中、危険な状態になり主治医に家族を呼ぶように言われても、自分が死ぬと思ったことは一度もなかったです。そう話すのはびまん性大細胞型B細胞リンパ腫に罹患し、繰り返す再発を生き抜いてきたYuichiさん。やりたいことをやって「今を生きる」を実践中だという、今日までの日々を語っていただきました。

お話を伺った方:Yuichiさん・63歳(罹患時46歳)、びまん性大細胞型B細胞リンパ腫

化学療法の影響で難病指定の末梢神経障害を発症

再発を三度も繰り返し、最後の再発から6年が過ぎました。振り返ると便秘が続き市販薬を飲んでも良くならず、内科のクリニックを受診したのが始まりでした。そこで腫瘍が見つかり大腸がんを指摘され、紹介してもらった総合病院に行くと今度は腎臓がんの疑いがあると言われて大学病院へ。詳しく検査をしたらステージⅣの悪性リンパ腫とわかり翌月から化学療法が始まりました。

病名を聞いたときはそんな病気になってしまったのかと思いましたが、原因を探ったところで治るわけではありません。治療に向けてすぐに気持ちを切り替え、主治医の言う治療と日本血液学会の造血器腫瘍診療ガイドラインの内容が同じだったので、信頼しておまかせしようと思いました。

化学療法が始まるまでに破裂するかと思うくらいお腹がどんどん膨らみ、ステロイドを投与すると一気に縮まったので、ステロイドでこんなに効くなら抗がん剤はもっといい結果が出るはずと希望がわきました。期待した通りお腹全体に広がっていた腫瘍はきれいになくなり寛解となりました。

しかし抗がん剤の影響でふくらはぎに痛みが出て転倒し、神経内科を受診したら末梢神経に炎症が起こる慢性炎症性脱髄性多発神経炎と診断。これは国指定の難病で二度と走れなくなると言われてショックでしたが、免疫グロブリン療法のおかげで杖歩行ができるまで回復。杖を片手に満員電車にのって通勤できたのは不幸中の幸いで、障害者手帳の交付や障害年金にも助けられています。

再発を繰り返しても希望を捨てず、できる治療をやるだけ

初発の寛解から8年後、人間ドックの血液検査でLDH値が上昇し再発を確認。経過観察は10年で卒業と言われ、その手前での再発だったのでショックでした。次の自家移植はすごく大変な治療というイメージがあり、前処置の化学療法でほぼゼロになる白血球は本当にもとに戻るのかという不安もありました。移植後、腹や胸に広がっていた腫瘍はなくなりましたが首に黒い影が残り、おそらくこの影が翌年の再々発につながったと思われます。

頸椎を圧迫骨折した再々発の2年後、転移性脳腫瘍が見つかり三度目の再発。何が起こってもおかしくないという精神状態だったので、悔しいとか、悲しいとか、ネガティブな気持ちにはならなかったです。なるようにしかならないという開き直りもあったけど、できる治療をして寛解を期待しようという気持ちだったと思います。この頃、訪問診療の先生に転倒すれば命取りになると言われたので、介護保険でレンタルした電動車椅子にのって通勤していました。

病気を公表し、一人で背負いきれない積み荷を軽く

二人の子どもは独立し、今は妻と二人暮らしです。妻はいつも飄々として、再発しても慌てず騒がずいてくれたので非常に気持ちが楽でした。入院中は頻繁に面会に来てくれて、もし妻が隣にいなかったら相当心細かったと思います。もう感謝しかありません。今は体調が落ち着き、3年前に発症した血小板減少症の治療をしながら経過観察を続けています。外出は電動車椅子ですが、家のなかは杖で移動しトイレや入浴は自分でできています。

周りには病気のことをどんどん公表しました。自分一人で抱えられず、誰かに聞いてもらわないと心が持たなかったのかもしれません。学生時代の友人や職場の同僚に励まされ、また飲もうぜと言ってくれる仲間の存在に感謝しています。

仕事は57歳でやめました。自分の意思ではなく会社都合退職です。入院中に療養休暇と私傷病休暇を使い切り、まだ復職できる状態ではなく解雇となりました。少し前に会社が希望退職者を募り、ちょっと迷いましたが60歳まで頑張ろうと決めた矢先のことでした。好条件の希望退職を棒に振ったわけですが、自分の選択は間違っていなかったと思います。

今は質素倹約の生活ですが障害年金に助けられ、障害者就労支援施設の在宅アルバイトも始めました。月に数万円くらい自由に使えるお金をもらえたら十分なので、正社員で働くことは考えていません。

40年ぶりにバンド活動を再開。今を生きるって、なんかいい

私なりの病を生きる教訓は、覚悟を決めて気持ちを早く切り替えること。そして一人で抱えず周りに相談し、使える制度は利用することです。生き方の指針になっているのは、ある女優さんが残した「今を生きる」という言葉。本のなかでこの言葉に出会い、なんかいいなと思って。明日のことも1秒先だって何が起こるかわかりません。だから大それたことじゃなくていいから身近でできること、無理なくやれることをやりたいと思うようになりました。

早速、学生時代に組んでいたバンドのメンバーに声をかけ、ミニライブを実現。僕はドラム担当。手の指が麻痺しているのでスティックを正しく握れませんが、それでも楽しく前向きな気持ちになれました。

取材/文 北林あい