納得する治療を選ぶ難しさに直面。標準治療と距離を置き余命宣告、そのとき選んだのは「生きるために今できること」

びまん性大細胞型B細胞リンパ腫 リンパ腫

2026年1月19日

病気になったら科学的根拠に基づいた標準治療が最良と言われていますが、自分のなかでその常識が崩れることがあるとしたら、どんなときだと思いますか。正しさの基準がわからなくなり、治療法の選択に悩んだ祢冝田満代さんの経験談をうかがいました。

お話を伺った方:祢冝田 満代さん・52歳(罹患時41歳)、びまん性大細胞型B細胞リンパ腫

定まらない病名、自家移植をやめて無治療へ

鼠径部にできたしこりをきっかけに、最初はびまん性大細胞型B細胞リンパ腫(DLBCL)と言われて化学療法を行いました。翌年に再発し、自家移植に対応できる病院に転院したら、そこでDLBCLではなく濾胞性リンパ腫の疑いがあると診断。さらに二度目の再発で形質転換が起きて再びDLBCLに戻り、病名が二転三転するという経験をしました。

一度目の再発時は、化学療法を終えて造血幹細胞の採取も終えた段階で濾胞性リンパ腫の可能性を指摘され、もし濾胞性リンパ腫の再発なら急いで自家移植をする必要はないというのが主治医の見解でした。このまま自家移植に進むか、濾胞性リンパ腫の可能性を信じて一旦治療をやめるかという二択を迫られ、後者を選択。4カ月間無治療で過ごし、改めて生検を行いましたが病名は確定せず、濾胞性リンパ腫と仮定してしこりがあった鼠径部に放射線を照射して寛解しました。

今までの治療に疑念が生まれ東洋医学にシフト

一度目の再発がわかった翌年、甲状腺がんが見つかり手術をしました。この頃からなぜがんを繰り返すのか、何がいけないのかという思考になり、病名が定まらない不信感もあって治療も生き方も自分が納得するやり方を選択したいと思い、西洋医学から東洋医学にシフトしようと決めました。主治医には「科学的根拠のある治療より私がいいと思う治療がしたい」と伝え、たくさん話し合ったうえで「やりたいことをやっていいけど、血液検査だけは続けてください」と受け入れてもらいました。そこから玄米菜食や糖断ち、気功などできることはすべてやりました。

そんな折にわかった二度目の再発。自家移植を提案されましたが、移植を選ぶと長期入院は免れません。私には4人の子どもがいて、最初にがんがわかったのは末っ子が5歳のときです。その子が中学3年生になり、せめて受験のときは家にいてやりたいという思いが強く、主治医に温熱療法で治療をしたいと懇願。ここでは科学的根拠のない治療はできないと言われて喧嘩になり、理解してくれる病院と医師を自力で探し転院を決めました。

余命宣告をされて、最後は生きるための治療を選択

転院先で放射線療法と温熱療法を併用した治療を希望しましたが、諸事情で温熱療法は断念。放射線療法の前に、もし形質転換が起こると治る確率は低く余命宣告になるので、覚悟のうえで治療してくださいと言われました。一旦は寛解しましたが恐れていた形質転換が起こり、ハイアグレッシブ腫瘍になってあっという間に全身に転移し、自家移植をしないと助からないと言われて仕方なく移植を受け入れました。このときCAR-T細胞療法をすすめられたけど、説明書きのなかに「遺伝子組み換え」というワードが目に留まり、遺伝子組み換えの大豆も食べないのに絶対に嫌だと治療を拒否。ほかに助かる道がなくてもやらないのかと聞かれましたが、「それなら自家移植で死んだほうがいい」と言っている自分がいました。

しかし自家移植前の化学療法はまったく効果がなく、抗がん剤を変えても勢いを増すかのように腫瘍が皮膚を突き破り膿が止まらない状態に。ここで治療をやめれば余命2カ月、今思えばこのタイミングで「もう一度CAR-T細胞療法を考えてみませんか」と言ってくれた主治医に感謝しています。

最終的にあんなに拒んだCAR-T細胞療法に踏み切ったのは、生きて子どもの成長が見たいと思ったからです。西洋医学に否定的な人たちにそこまでして生きたいのかと批判されましたが、西洋医学、東洋医学という枠を取っ払い、とにかく生きたいという気持ちに背中を押された選択だったと思います。

信じている価値観の逆方向に、正解が見えることがある

自分の意思で治療の方向性を選ぶときに、周りの意見をシャットアウトすると本当の自分の心がわかるということや、信じている価値観の逆方向に正解が見える場合があること。そして一度決めた方向性を変えてもいいと私は学びました。

私がCAR-T細胞療法にコマを進められたのは、無菌室にいて人とのつながりが自然と断たれ、SNSをすべてやめて誰かの価値観に振り回されない状況に身を置けたから。これが大きかったと思います。西洋医学とは真逆にある、生き方を変えたらがんは治るという価値観が心地良く思えたときもあったけど、距離を置き冷静に自分と向き合えたから生きるために必要な選択ができました。

少し前になりますが、子宮頸がんになり無治療を選んだ友人に会いました。診断時はステージⅠだったがんはステージⅣまで進行し、「もう少し早く満代さんに会っていれば、違う選択肢が見えていたかもしれない」という言葉を残し彼女は旅立ちました。西洋医学と東洋医学の両方に関わり、今はその真ん中に立っている私にできることって何だろうと考えさせられました。これからは中立の立場で自分の経験談を発信するなど、恩返しの気持ちを持って誰かの役に立ちたいです。

取材/文 北林あい